掃除から学んだ「普通の感覚」の大切さ

こんにちは。

もうこのブログは雑記ブログで良いんじゃないかなーっていうくらい色々と書いていますが、今のところブログの方向性を変える予定はありません。

統合失調症×ライティング×半引きこもり(+雑記)ブログっていうことで、当分はいかせていただきます。

 

さて、私は今日の朝に親に怒られてしまいました。

それは、「部屋が汚い」という理由から。

ここから、「普通の感覚って大切だな」ということを学んだわけです。

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学んだフローを説明しないと、多分ほとんどの方が「何言っているのコイツ」状態だと思います。

大丈夫です。きちんと説明します。

 

実は、私は自分の部屋が汚れている・片付けられてないというのを認識できないのです。

彼には掃除をしろだのなんだと言っているにも関わらず、自分の部屋に関しては汚れていることさえ認識できません。

病気のせい…なのでしょうか。よくわかりません。とにかく、いくら散らかっていても「汚い」とは思わない・思えないのです。

 

それが今日、積もり積もった汚さが、親の琴線に触れました。きちんとキレイにしなさい、と齢アラサーの私は親に怒られたのです。

(しかし、私の部屋が汚くなるのは当然なのです。なぜならインコを2羽部屋で飼っているからです)

 

怒られた際に、私は上述の「部屋が汚い、ということがわからない」ということを説明しました。

そこで、「普通の感覚だと『汚い』って思うものだよ」(意訳)と言われてしまったのです。

 

ここです。「普通の感覚って大切だな」と思ったのは。

しかし、何が「普通」なんでしょう?おそらく大多数が共通に知っていることを「普通」というのでしょうが、厳密に定義できるものではありません。

「普通」ってなんですか、と親に聞きたいのを我慢しながら、私は怒られていました。

 

社会で生きていくのに、「普通の感覚」はとても大切なものです。揺らぎやすい要素でありながら非常に重要なものなので、社会で生きていくには必須の要素だと言うことができます。

それを知らない、わからないでは社会で生きづらいのではないか、と思います。

それが今回、はっきりとわかったのが収穫でした。

あと、部屋を(多分)キレイにしたのも収穫です。

 

そういえば、主治医が以前片づけについてこんなことを言っていました。

「片付けなくてもいいけだ、衛生的にね」と。

鳥の餌が飛び散っているのは確かに衛生的じゃないよなぁ…と思いました。

 

そんなこんなで、私は2日に1回、部屋が汚れているように見えなくても掃除をすることにしました。

汚れているように見えなくても掃除って可能なのか?と思いましたが、とりあえず続けてみます。

 


古堅式! 片付け&掃除ハンドブック